iPX社員によるブログ

iPX社員が"社の動向"から"自身の知見や趣味"、"セミナーなどのおすすめ情報"に至るまで幅広い話題を投下していくブログ。社の雰囲気を感じ取っていただけたら幸いです。

国際社会と思わずの攻撃

「サンキュー!」

それを聞いた僕がドアを開けたままに一瞬フリーズしました。
良かったことに、セリフを言ってくれた方が一回も振り向かずに通って、僕がすごくムッとしている顔が誰にも見られなさそうでした。

しかし何で腹が立ったの?僕が客先で食堂のドア開けた時に後ろの所員さんを先に通した。【通っていた小学校は「先にドアに着いた者は最後に通る」のようなルールがあって、嫌でも一生についてしまったみたい(汗)】 それにお礼されただけでした。皮肉などもなかったから、お礼にムカつく権利がないはずです。それはわかってもムカつきました。それはわかったのでムカつきました。

今回のiPXブログ担当のベーカーです。今回のテーマが個人的でちょっと暗いかもしれないですが、よろしくお願いします。

愛憎関係?

ちょっと話をそらします。

始めて来日したのは2002年の4月、日韓ワールドカップの数か月前でした。そして数えてみたら、僕が日本に今まで住んでいたのは全部で16年近くになります。【書いている当日は15年10か月9日(ありがとうWolfram|Alpha)】
ニームーンがもう何年も前に終わっていました。

日本に来てから色々な経験がありました。当たり前のことですが、いいこと悪いこともたくさんありました。海外からきて違い人種の自分だから、見えている日本が国内に生まれ育った日本の方と少しでも違うと思います。僕が気に入っているところがひょっとして日本人が一回も考えたことがないし、僕にとって嫌なところが他の人にとっての大事な日本の代表的な一点になります。
だから僕が日本について文句を言ったら、日本人の相手でしたら通じないときが多いです。それは決して相手がバカとかだからじゃなくて、見えている「日本」が同じ名前を持っている別の国のようですから当然のことです。

何で日本に来ましたかと聞かれましたら 【新しい方とお話ができると、平均的にこれが4つ目の質問になります(笑)】、本当の答えが大体「好きだから、日本」です。でも、「好き」という単語が曖昧で「友情」の時も使えて、「愛」の時も使えます。どこで最初に聞いたかもう覚えていないですが、友情と会いの違いはこう聞きました、「友情は自分の弱点や悪いところを無視してくれる。愛は自分の弱点や悪いところを認めて、一緒に超えようとしてくれる」。それが本当でしたら、僕はその意味で日本を愛しているとも言えます。
日本の悪いところについてしゃべっているときはいつか超える為です。

ドアに立っている僕に戻ると

しかし、今回は日本の悪口じゃなくて、人類の悪口です 【日本の悪口を聞きたい誰かがいたら、どうぞ居酒屋でも誘ってください。僕が大体4~5敗目から言い始めます(冗談)】。なぜかというと、世界中に人間がいる限りにこのようなことを経験している人がいます。

ドアを持った僕に「サンキュー」といった所員さんはその時が初めて、その後に二度と会わなかったです。でも彼が僕という知らない人を見て、いろんなお礼の言葉からそのカタカナ発音の英単語を選びました。
僕が二人の人にムカつきました:そのセリフを言った所員の方と、そのセリフに気になった自分。

本当は何で彼がそれを言ってくれたかがわかりません。彼が英会話の練習相手を募集していたが、最後に勇気が出なかったから逃げた?「サンキュー」が彼の口癖でいつも相手関係なく使っている?本当は彼が日本語しゃべれなくて、「ありがとう」という日本語ができなかった ?【このようなことが実は一回あったことがあります。昔によく通っていたバーに新入りのバイトの人がいました。お店に入ったらバイトさんに英語であいさつをしました。「何で僕に日本語を使ってくれないの?」と聞いたら彼女が「すみません、先週中国から日本に来たばかりで、日本語の勉強がまだそこまで進んでないです。」僕の顔が真っ赤でした】どれでもすごく稀ながらあり得ます。
でも、より可能性ありのは以下のどちらかの思い込みとも思えないですか:

  • 「日本人っぽい顔してない人だから日本語を使っても通じない」

これに対して何で僕がイライラするかわかってくれるかもしれません。何か微妙に馬鹿にされているかと考えられます。
こういう思い込みはマスコミのせいにもしたいです。メインは駅前留学時代の英会話教室のCMなどの「海外行かなくても、いつ外国人と話さなきゃならないかが分からないからすぐ入学して、英語を勉強しないと恐ろしいことになる」というネタです 。
【僕も学生時代と卒業した後の数年間英語教育関係のいろんな仕事もしたことがあります。研究によると周一の駅前留学形式の英会話がほぼ無効化ということです(毎日少しずつがいつも僕のおすすめです)。英会話教室の半分くらいは教育目的じゃなくて、英語を教えるふりをしているエンターテイメントです。
もちろんいい教室もいっぱいありますが、もし先生が20代前半のイケメンで、年間カリキュラムがA4一枚で終われば、取り敢えず逃げた方がいいかもしれないです】

それだけじゃなくて、バラエティー番組以外のテレビに日本人以外の顔がほとんど見ない。見るたびにそのキャラクターがほぼいつも「訳アリ外国人」(と僕が勝手に呼んでいます)。例えば「この会社が国際的ほど大きくて恐ろしいよ!」と示すかあとで「言葉が通じない」ネタのギャグなどのストーリーのためです。その外国人のセリフがカタカナだらけか片言で日本語がしゃべれないという印象が無意識につきやすいです 。
【いい例外は十数年前の「魔法少女リリカルなのは」というアニメです。それで、主人公のクラスメイトが日本に育てている外国からの家族の娘でした。しかしそれがされがなく紹介された後に一回もストーリーに出なかったです。彼女が日本人でも話のながれも一切変わらなかったです。でも、流れ的に彼女を日本人にする必要もありませんでした】

  • 「日本人っぽくない顔している人だから世界中の共通している英語を使った方が丁寧」

この考え方の方が難しいです。表だけを見ると気を使おうとしてこの人が親切でいい人じゃないかとも思えます。もし相手関係なく知らない人に対してこの考え方を取っていたらそれはいいことです。
しかし、前と一緒の「日本人っぽくない顔している人だから」が気になるところです。確かにこういう考え方の人が(無意識でも)親切のつもりで言ったと思いますが、僕みたいな人が聞こえるのは「あなたは外見が違うから、他の人と違う扱いにするよ」。

どちらでも、知らない人の相手の外見・人種で決めつけています。一見でいつもと違う扱い方を撮ろうと決めました。

受け方が誰の責任?

その所員の方が何かかわいそうです。僕がまでで悪人しようとしているようじゃないですか?
彼は親切なことをしようとしていました。ドアを開けてくれた人に礼儀正しくお礼を言おうとしただけでした。僕を見て「サンキュー」という単語が頭の中に一番先に浮かんできたか、考えたうえでその単語が一番適切の考えていたと僕も信じています。
だから僕が自分にもムカつきました。

これやってしまった人のやろうとしたことの話じゃなくて、やられた人の受け方の話です。

よくある例は「もしある少年がある公園の壁の前で玉投げの練習をしている間に変な方向にリバウンドしたせいで近くにいるある少女の頭に当たってしまったら誰の責任ですか?」。でもこれは単純すぎてニュアンスが上手く伝わないから僕は別の例を使いたいと思います:

Aさんが知り合いの家に初めて入った。その人がお茶を入れている間にあなたは疲れているから近くの椅子に座ります。
とその時に椅子が壊れます。
Aさんが「すんごくビビった」上に、今足も腰も痛くなりました。
しかし、知り合いが逆に修理する予定の椅子と態々買った修理用品も台無しにしたあなたに怒っています。

この例で誰が被害者と誰が責任者というのがそんなにシンプルじゃないです。ある意味で両方が被害者と考えられます。
でもAさんの不注意と思い込みが最も原因でした。「椅子は座るもの」や「壊れかけているものは客さんから隠す」はAさんにとって常識の知識ですが、自分の前例の経験と「当たり前」の考え方に頼りすぎました。
Aさんが知り合いに簡単に「ここに座っていい?」と聞いたら誰も怒らなくて済むはずです。でも、これでAさんが新しい疑問を考えなければならない:「いつ聞くべきか?いつ聞かなくてもいいか?」。その答えが「はっきり知らない限り毎回」です。これが新しい常識です。

玉投げの少年の例のように、相手から見ると意図より大事なのは結果です。

小さな攻撃?

実は今まで話していたことは心理学と社会学の世界でちゃんと名前があります。それは「マイクロアグレッション(microaggression)」といいます。
直訳にすると「小さな攻撃」【変な名前だと思っていいですよ。英語圏の僕が初めて「microaggression」を読んだときに、変すぎて嫌な名前だと思っていました】 で、意味としては「自覚なき差別」社会学の学会論文を読めば読むほど、マイクロアグレッションのいろんな種類が出てきます。その中に「意識しながら」というタイプもいくつかあるそうですが、僕が今回そんなに深く考えたくないです】 又は「社会的に非主流とされる人々を無意識のうちに差別しておとしめる言動」 。英辞郎On The Webより。Weblioも悪くないですが、それではされていい者が限られているような書き方になってしまっています】
マイクロアグレッションが前からあった概念ですが、僕みたいな一般人に知られているのはアメリカのスー教授 のおかげです。

紹介としてのいい例がActusという会社の武田さんが書きました

例えば、日本でレストランに行ったとき、ぞんざいに扱われると、「ここのサービスなってない!けしからん!」と憤慨できますよね。
しかしアメリカで、日本人同士、もしくはマイノリティーの人種だけでレストランに行ったとき、ぞんざいに扱われたり、良くない席に通されたりすると、「アジア人だからかな?」という、「人種」が不当に扱われた原因としていやでも可能性として浮かんできます。

マイクロアグレッションはよく「蚊に刺された」とよく例えられています。一回刺されたらそんなに大変なことじゃないけど、跡がかゆいし、無視しようとしてもなかなかできません。それに、もしそれは一回だけじゃなくて毎日刺されたらどうなりますか?
でも、マイクロアグレッションは蚊よりひどいところがあります。蚊のこと知らない人が多分いないだろうし、蚊に刺されたら周りが見える跡が残ります。もし蚊と蚊の跡が見える人は人口の2割だけで、残りの8割は自分が見えない蚊にほとんど刺されないし、刺されてもかゆくなったりにならない。2割の一人の人はどうやって8割の方に蚊のことを説明するべきでしょうか。

男女平等?

マイクロアグレッションは人種差別の一種だと勘違いしている人が少なくないです。実はマイクロアグレッションはそれよりずっと広くて、このブログを読んでくれている皆さんも多分いつかに「小さな攻撃」にされたことがあるのかな(「その年…」「その身長…」「その趣味…」「その体重…」)。

日本では外国籍の住民が役2%だけですから、僕の立場をはっきり共感できる人が少ないかもしれないですが、日本人口の役半分くらいが似たような経験を毎日しています。

https://xkcd.com/385/
「うわー、おまえは数学下手くそな。」「うわー、女子は数学下手くそな。」

iPXにいる僕は結構いろんな会社のエンジニアに出会います。とある会社に僕の知り合い二人が務めていました。一人が男で、僕が聞いたことのない私立大学から無関係な専門で卒業してから、転職でエンジニアになりました。経験ゼロで一番下から勉強しながら頑張らないといけないと自覚していましたから、月に27万円の給料で満足できました。同じ会社で同じ年の女の知り合いは全国で有名な公立大学からエンジニア関係のPhDで卒業できました。初めての職場なので何の給料でもいいという考えでしたが、実際にもらっているのは…25万でした。二人はお互いに給料を知らないし、僕は言ってしまうほど悪い人じゃないから二人も自分がもらっているお金に文句は僕に言ってこなかったけど、僕がどうしてもその給料の差にずっと気になってしまいました。

これがマイクロアグレッションのように判断しにくいことです。僕が勝手に「女の子だからじゃない?」と考えてしまうのですが、僕が知らない別の理由がどこかにあるかもしれません。例えば彼が自分の給料にすごく戦いましたとか。でも、もし僕が彼女に状況を教えたらどういう受け方にするでしょうか?

社会に女の人は色々で攻撃されています。周りに「もっと笑顔しなさいよぉ」に言われているときなどもマイクロアグレッションと思える。僕が客先で会議に参加する度、男性が飲み物を配ってくれる場合は女性がいないときのみです。自動車業界の工場(サプライヤやOEM)では男性の社員がずっと多いんですが、あちらこちらに貼ってあるポスターが9割以上にニコニコしていている若い女の子がイメージキャラクターになっています。それは多分わざとじゃないと思いますが、エンジニアとして頑張ろうとしている女の人にいったいどういうメッセージに伝えているのでしょうか?

自分の場合は?

僕は初めて日本に来た時は挨拶以外に日本語ができませんでした。周りがほとんどわからなかったので逆にあまり違和感がなかったです。お店に入ろうとして、店員さんに断れていたときは日本語力が足りないからです。自転車に乗っていてお巡りさんに止められて、チェックを受けたときは盗まれた自転車を探しているからです。全部は「日本からです」として納得しやすかったです。
でも、1~2年を立ったら少しずつ気になっていることが見えてきました。日本語が話せるようになっても同じお店が入れさしてくれませんでした。僕の日本語学校にある田舎町にどこか自転車が盗まれても、警察さんが最初に学校周辺に来て自転車に乗っていながら外国のような人を皆チェックするようにしました。
それから様々な「気のせいかな」ほど小さいことが気づいてしまうようになりました。コンビニの店員さんが僕を見て一瞬だけ困っている顔をしてしまったときとか、僕が乗っている電車に人が立っているのに僕の隣の席が空いているとか、一つ一つ気にならないことばかりが課すなって大きくなってきました。

2012年に新聞の記事で初めて「マイクロアグレッション」の単語を学びました。ようやく僕がいつも「なんとなく」感じていることにラベルを付けることができました。
マイクロアグレッションを研究しているスー教授の本を読むと分かったのはこれがストレスの一種とも考えられます。
人の我慢力はRPGのHPのようなもので、ストレスを与えられると攻撃みたいにHPが減る。HPが少なくなると疲れて、行動が鈍くなります。これは皆が経験していて、分かっていると思います。数万ヒットポイントで始まっている勇者は一つの戦闘(ストレスになるイベント)で千ポイントを一気で減る恐れがあります。一つの攻撃だけで数百ポイント減少もあり得ます。HPをゼロになる「戦闘不能」になります(人の性格次第で、カッとする人もいて、憂鬱でひきこもる人もいます)。
これでマイクロアグレッションが名前通りの「小さな攻撃」になります。RPG好きな人が毒された勇者さんを想像するといいと思います。一つのマイクロアグレッションの攻撃が百ポイント以下ですけど、速くたまってしまいますので、周りの人より速く疲れてしまったり、速く我慢できなくなったりします 。アメリカで「黒人が短期」というステレオタイプのはこの生じゃないのかなぁ?】
一番難しいのはこの小さな攻撃の原因が勘違いでも、気のせいでも、例え被害妄想でも、本人が感じているのは確かなのでストレスになります。
しかし、敵が見えてきたら反撃ができます。

どうすればいい?

僕の日本語力が自分の自慢の一つです。にもかかわらず、まだ足りないところが多いです 。【このブログを苦労しながら読もうとしている皆さんが誰よりも分かっています】これから一生日本にすんでもネイティブっぽくならないのは事実です。
日本に住んでいる外国籍の知り合いに日本語力が様々ですけど、しゃべれないのは一人もいないです。

なので、荒川先生が書いた本のテーマのように知らない人と会ったら、どんな人を関係なく「とりあえず日本語で」 。いつも知らない人のことは(日本人っぽい顔しても)可能性低いながら日本語が上手にできないこともあり得るから意識しながら話しかけることが大事です。略語、敬語、専門用語、それぞれ使う必要があるかを考えながら話しかけます。もちろんやりすぎると相手を子ども扱いのようになるから、いいバランスが取れるまでに練習と勉強が必要です。話が始まったら相手の日本語力を意識しながら合わせることがそんなに難しくないことです。難しくなったら、その時に相手と確認した上で外国語に切り替えることもOKです。

相手が知っている限りは相手に合わせることがもちろん一番親切ですが、相手が知らない・分からない場合にそうしようとすると思い込みに負けそうに逆効果になる恐れがいつもあり得ます。相手のことを推測すると僕が使いすぎる「…かもしれない」という日本語を使って、後ですぐ「そうでもかもしれない」も必ず使ってください。

仕事で僕がメールを送る場合に最後に本社の住所を必ずつけます。それは2年前に漢字からローマ字に変えました。外国人向きのメールだから変えたじゃなくて、日本人も含めて、全世界で一番読めるのが多いですからローマ字にしました。

これ以外にやった方がいいことはきりがないほど多いですが。僕じゃなくて、僕よりわかる方に聞いた方がいいです。
今は「マイクロアグレッション」を自覚できるようになりました。それが一番難しいことでした。これから自分がしていることも、周りにされているも意識しながら行動するとやるべきことがいずれ見えてくるはずです。


それと、自動車業界の工場で貼っているポスターにアイドルっぽい女の子が本当に適切かを考えてくれる方がいれば…