iPX社員によるブログ

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キュビズムのはなし

こんにちは、iPXのヤマダです。
私がiPXに入社してはや2ヶ月が経とうとしています。
元々美大出身で前職でもITの分野に触れてこなかったので、完全に異業種での転職ながら日々頑張っています。


今回は美術畑として「キュビズム」についての話をしていきます。
キュビズムピカソとブラックが確立した表現手法です。
ピカソの絵画は皆さんも一度は見たことがあるかと思います。「泣く女」や「ゲルニカ」など、率直に言って何描いてんだかよく分かりませんよね?私も美術史を勉強するまで頭のおかしい人が書いたよく分からん絵だと思っていました。
この記事を読んで少しでも見る目が変わっていただければ幸いです。


しばしばキュビズムは「空間を幾何学で再構成した表現手法」であると語られますが、その説明は正確ではありません。
キュビズムは物体が遮っている空間、モチーフの裏側、回り込まないと見ることのできない、でもたしかにそこに存在する立体を多角的な視点から描こうとしました。
また、空間だけでなく時間までをも幾何学で再構成しました。
ピカソの絵画をよく見ると、モチーフの顔の一部が横顔であったり、正面を向いていたりします。モチーフ、また書き手が生きている以上、それらは時間の経過とともに動きます。
その時間の経過も平面の中に込めようと彼らは試みました。
モチーフが持つ空間、モチーフの外の空間、そして時間、すべて等価な幾何学に置き換えて構成し直し、物事が持っている本質を伝えようとしたのです。
モチーフのデティールは全体の調和の為に極端に単純化されています。モチーフの断片は画面に独特のリズムを生み出し、画面の構成自体にも「時間」の概念を生み出しています。


ピカソは初めからあの独特の画風ではありませんでした。「青の時代」、「バラ色の時代」など様々な画風の遍歴を辿り、キュビズムを確立、キュビズムを生み出した後もスタイルを変え晩年は子供が描く絵のような画風で自身を描き続けました。
ピカソは自分の中の既成概念を常に崩していました。自身の中の「こうでなければいけない」、「普通はこうであろう」、「これが定石だ」、「この手法が一番自分に向いている」といった考えを崩し、幾何学に置き換えて本質を探り続けました。   
自分のスタイルを壊しては新しい可能性を見出し、自己変革を続けていった作家です。

ピカソは晩年、このようなコメントを残しています。
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。」


また美術史において革新的な表現手法が出てくる時、背景には必ず美術界や世界の時勢に対する「意思の表明」がありました。
キュビズムはそれまで絵画が担っていた現実世界の二次元的模倣という役割の否定です。キュビズムを発表した当時作品は轟々たる批判に晒されました。精神異常の類とも貶されました。しかしピカソとブラックは表現することを止めず、更に流儀を鋭敏なものにしていきました。その後、キュビズムはのちの抽象画の系譜へと続いていくことになります。
それまでの歴史や今の世界を広く深く読み解き、その動向に対して自身の意思を表現していく。そうやって美術は今日までの発展を遂げてきました。


と、ここまで読むとピカソの絵も見え方が違ってきませんか?
この記事でちょっとArtのことが面白いなあと思っていただけたら嬉しいです。


P.S
この記事は最近決意を固めたある人に対する私なりのエールも含んでいます。
私がこれを発露したのは今までのあなたと過ごした時間によって出たものだと思っています。
この発露はあなたの一部であるし、あなたが示した決意も私の一部です。
これはあくまで個人の、自分との戦いですが、あなただけでなく私も拙いながら戦っています。
周囲も等しくそうでしょう。
各位、気張っていきましょう。